16文キック。いうまでもなくジャイアント馬場の代名詞的な必殺技です。たんなるケリではなく、これでフォールを取ったこともあります。今週号の『週刊大衆』(12月9日号)では、「真説あのプロレス必殺技誕生の瞬間!!」(第2回)という連載で、ジャイアント馬場の16文誕生について詳細に振り返っています。

週刊大衆・16文.png

ジャイアント馬場は、もともと大きな体にコンプレックスを持っていました。規格外のため、人が当たり前にできることができず制限されていたからです。

たとえば、馬場正平に合う靴を探すのが一苦労でした。

ところが、プロレスに入門したことでその価値観は大きく変わります。

規格外の大きさが何よりの武器になったのです。

派手なプロモーションビデオで技をかけているシーンを見せなくても、饒舌なマイク・パフォーマンスをしなくても、2メートルをこす長身は、立っているだけでプロモーターが使いたくなるレスラーでした。

といっても、もちろん、プロレスができなければ、単なる負け役や怪奇派で終わってしまいます。

メインイベントで試合をするためには、オンリーワンの必殺技が必要です。

そのひとつが、ジャイアント馬場の場合は16文だったのです。





では、それはどうやって誕生したか。同誌ではこう書いています。

 昭和37年、ニューヨークのサニーサイドガーデンでのタッグマッチ。パートナーのスカル・マーフィが、まず対戦相手のカルロス・ミラノのボディにキックを叩き込むと、今度はロープに振り飛ばしながら馬場に声をかけた。
「お前もキックだ!」
(飛び込んだ私はとっさに左足を振り上げてミラノの胸板にカウンサー・キックを命中させた。これが予想以上のダメージを与えてミラノは立てず、私がフォールを奪って快勝した)(『王道十六文』)
 瞬間的に左足が出たのは投球フォームの癖だった。巨人時代の投げ込みがリングで生きたのだ。
 ただし、馬場にとっては試合の中で偶然出た技の一つに過ぎず、それどころか「こんな単純なもの」と軽く考えていたという。
 ところが、武者修行から帰国後の昭和39年春、馬場の試合を見たスポーツ紙の記者が「馬場のカウンターキック」に強い印象を受けて、「16文キック」と命名したのだ。

ファンの間では知られていることですが、16文というのは、アメリカサイズの16号(34センチ)を意味する「16」のラベルが貼られており、これを記者が「16文」(約38.4センチ)と勘違いしたことに由来します。

つまり、本当の文数は別で、実は13.6文です。

ただ、プロレスの実況をする時、ファンが必殺技として口にだすとき、13.6文キック、よりは16文キックの方が区切りがいいし、より大きいからこれでよかったのかもしれません。

それに、16といえば、ジャイアント馬場を追い出したプロ野球、巨人軍ではスター選手の川上哲治が現役時代、そして監督初期の時代につけた背番号。

川上哲治さん個人に怨みはなくても、自分をクビにした巨人を蹴り飛ばすという意味をもっていたかもしれません。

ジャイアント馬場の16文キックは、ライバルの大木金太郎も素直に脱帽しています。

(普通のレスラーは私の頭突き3回で倒れたのに、私が10回以上頭突きしても馬場はびくともしない。(中 略)ロープに投げつけられ、その反動で飛びかえる私に向かって彼の16文キックが腹部を直撃した。息が止まるようだった)(『自伝大木金太郎』講談社)

のちにジャイアント馬場は、ドロップキックもマスター。2メートル以上のレスラーのドロップキックは前代未聞で、プロレスの実況では、清水一郎アナから32文アポロキックなどといわれました。

こちらはペドロ・モラレスが師匠だったといわれています。

それにしても、スカル・マーフィは、来日したときは、ジャイアント馬場と戦う悪い外人レスラーでしたが、アメリカでは16文誕生に導いたタッグパートナーだったのですね。

プロレスというのは奥が深い。

昭和プロレス、ジャイアント馬場、サイコーです。

週刊大衆 2013年 12/9号 [雑誌]

週刊大衆 2013年 12/9号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2013/11/25
  • メディア: 雑誌

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger... ↓スポンサードリンク