谷津嘉章のインタビュー。遅ればせながら2012年9月発売の『Gスピリッツ Vol.25』を読みました。テーマは、全日本プロレス40周年記念スペシャル。全日本プロレスの歴史を支えてきたレスラーたちがインタビューに答えていますが、1回では書ききれないほどいろいろな新事実が書かれているんですね。その中でも谷津嘉章のインタビューを今回ご紹介します。

プロレスファンからすれば「今更」の情報です。が、まだご覧になっていない方には、ぜひおすすめしたい読み物であると思い、新刊ではありませんが記事にします。



最初のコーナーが、天龍源一郎・川田利明・和田京平の3者インタビュー。次が懐かしの佐藤昭雄氏の登場。渕正信と大仁田厚。谷津嘉章につづいて、菊地毅と北原光騎。

どれも興味深いですが、やっぱり久々登場の佐藤昭雄氏と谷津嘉章の話が興味深かったですね。

佐藤昭雄氏についてはまた改めて書くとして、今回は谷津嘉章。

ポイントはこんなところです。

・全日本をやめたのは、後輩(三沢光晴と川田利明)がやりにくいだろうと考えたから
・裁判の頃はSWSもなかったしお金がなかったから、違約金を減らしてもらうようジャイアント馬場に直談判
・ジャイアント馬場はなんと10分の1までまけてくれた
・裁判所から帰るとき、車から「谷津、がんばれよ」と声をかけてくれたがそれが最後の会話になった
・新日本は新弟子の苦労もなくアントニオ猪木が事業道楽でプロレスに専念していなかったし、全日本の在籍期間のほうが長かった。ジャイアント馬場とは腹を割って話し合ったこともあるから、師匠はアントニオ猪木ではなくジャイアント馬場と思っている

それにしても不思議なのは、谷津嘉章のデビュー戦。なぜ新日本プロレスはあんな試合にしたのでしょう。

新弟子の苦労もしていない谷津嘉章を、いきなり千尋の谷から叩き落としても、這い上がっては来れないでしょう。

アメリカの期間も長く、帰ってきたら維新軍。

谷津嘉章が新日本プロレスで本流の中心選手として扱われたことはありませんでした。

その点、全日本プロレスでは、すぐにジャンボ鶴田のパートナーになって、インターナショナルタッグ選手権や世界最強タッグの優勝など、外様としては破格の待遇でした。

谷津嘉章は、最初に入る団体を間違えたのかもしれませんね。




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次回は佐藤昭雄氏の話、4万字インタビューについて書きます。

日本プロレス時代のジャイアント馬場の付き人で、全日本プロレスではブッカーをつとめたこともあるだけに、興味深い話がたくさんあります。

私の記事の更新が待ちきれない方は、ぜひ『Gスピリッツ Vol.25』を御覧ください。

Gスピリッツ Vol.25 (タツミムック)

Gスピリッツ Vol.25 (タツミムック)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 辰巳出版
  • 発売日: 2012/09/26
  • メディア: ムック


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