ドナルド・タケシ

ドナルド・タケシというレスラーが日本プロレスにいました。ご存じですか。日本プロレスの話など、昭和プロレスでもかなり昔の話なのでわかる人も少ないかもしれませんが、来日した留学レスラー第1号ということで日本のプロレス史に名前が残るレスラーなのです。



「東京スポーツ」(2103年6月19日付)では、小佐野景治の「プロレススーパースター実伝」で紹介されています。
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ドナルド・タケシ、プロレス留学生第1号
「 6月3日、祖父がメキシコの国民的英雄エル・サント、父はイホ・デル・サントという名門の血筋を持つニエト・デル・サントが練習生としてプロレスリング・ノアに来日した。今や日本は世界中から学びに来るプロレス先進国なのだ。
 そうした留学レスラー第1号は45年前に日本プロレスに来日した中国系シンガポール人のドナルド・タケシ(本名レオナルド・シン・ポー)。
 タケシの父レオ・コン・シンは力道山とも戦っており、キングコングとともに東南アジアをサーキットしたレスラーだった。タケシは「東南アジアにプロレスブームを!」という父の夢をかなえるために1968年5月に弱冠18歳で来日した。
 そんなタケシを待っていたのは"プロレスの神様"カール・ゴッチ教室のシゴキ。タケシの兄弟子にあたる百田光雄は「タケシは細かったけど、頑張っていたと思うよ。関節が柔らかかった。ブリッジなんかキレイだったよ。ゴッチとは英語でコミュニケーションが取れたからよかったんじゃないか」と当時を語る。
 食べ物はちゃんこでも何でもOK、日本語もすぐに覚えて日本に順応した。「あの当時の巡業はホテルじゃなくて旅館に泊まっていたでしょ。タケシはいつも受付の若い女の子のところに行ってしゃべってるんだよ。だから、日本語はすくに覚えられたんだろ」と百田は笑う。


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 来日当初は185センチ、70キロと線が細かったが、練習とちゃんこで90?近くにまで大きくなった。初勝利は71年6月30日、三重県体育館の第1試合。相手はシングル3戦目の新人・藤波辰巳(現辰爾)だった。「ドナルド・ダックのように有名になりたい。理想はデストロイヤーと吉村道明lさんをミックスしたような選手」と言っていたタケシだが、兵役のために71年9月に帰国。74年1月に再来日して新日本に上がったが、同年暮れに里帰りしたまま戻ってこなかった。
.結局、レスラーとしては大成できず、東南アジアにプロレスを根付かせることはできなかったが、ベラベラの日本語で旅行会社の現地ガイドとして成功したという。 (毎週火曜掲載)」
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そういえば思い出しますね。

日本プロレスのパンフレット、最初の見開きはジャイアント馬場、アントニオ猪木、吉村道明、大木金太郎、そして日本にいれば坂口征二が掲載され、次の見開きには、ミツ・ヒライ、星野勘太郎、山本小鉄、グレート小鹿、大熊元司ら第2グループとレフェリーたちが掲載され、その次の見開きには若手選手が小さく一覧紹介されていたが、その中の下の方にいました。

若手はみんな本名で漢字なのに、1人だけカタカナだったので目立ったものですた。

なつかしいなあ、日本プロレス。

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