上田馬之助

今日は、上田馬之助の生まれた日です。1940年に生まれています。上田馬之助といえば、あの第13回ワールドリーグ戦でも、アントニオ猪木のセコンドに付くほどの猪木派でしたが、アントニオ猪木の会社改革計画を密告した人としても知られています。その相反する生き様は何に拠るものだったのかを考えてみます。





『日本プロレス事件史 Vol.20 入団・退団』(ベースボールマガジン社)を読みました。



昭和プロレスも含めて、プロレス史に残るレスラーたちの入団と退団のエピソードを記事にまとめたものです。

その中のひとりとして、上田馬之助のことが書かれていました。

記事の中身をざっとご紹介します。

上田馬之助は、第8回ワールドリーグ戦に、ミツ・ヒライとともに抜擢された。

渡米歴のあるミツ・ヒライの抜擢は順当で、上田馬之助の抜擢は、星野勘太郎、山本小鉄、グレート小鹿らの嫉妬の対象になるように思われたが、実際は逆で、「きわめっこ」の強かった上田馬之助の実力を知っていた同僚レスラーたちは、納得していただろうと、同僚の一人であるマティ鈴木は語る。

しかし、上田馬之助には華がなかった。

吉村道明からも、「強いだけでは、この世界では飯が食えない」と言われていた。

その後渡米し、プロフェッサー・イトウ、グレート・イトウなどを名乗り、ラフファイトの力をつけ翌年に帰国。

しかし、日本では、ジャイアント馬場のパートナーに抜擢されるもいまいちぱっとせず、アントニオ猪木も日本プロレスに戻ってきたため、影薄くなり再度渡米。

という話です。

私のイメージでは、上田馬之助というと、松岡巌鉄とのセメントコンビを連想するのですが、レスラーとしての格は上田馬之助のほうがずっと上ですね。

そして、アントニオ猪木が出戻った時、最初に声をかけたのは上田馬之助であり、また、マティ鈴木に世話になったからといって、全日本プロレス時代、上田馬之助はマティ鈴木に何度もごちそうした、という話も出ています。

要するに、レスラーとして華はないが、人格者である、という話でした。

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で、ここからは私の認識と意見です。

上田馬之助は、日本プロレス時代は猪木派で、例の猪木除名事件のときに猪木を裏切り、金髪になってからは、「上が勝手に抜けたら俺達は路頭に迷った」として、ジャイアント馬場もアントニオ猪木もつけ狙いました。

そして、亡くなる少し前には、猪木除名事件で裏切ったのはジャイアント馬場だったと述べるも誰にも相手にされず、結局アントニオ猪木に謝りたいと自己批判して亡くなったという結末です。

上田馬之助が人格者というのはよくいわれているので、私は最初、なぜ上田馬之助が猪木派だったかという点で、てっきりアントニオ猪木はよく練習をする努力家だから、猪木派になったのかなと思いました。

でも、結局猪木を裏切っているわけですから、辻褄が合いません。

ましてや、上田馬之助も練習好きには見えませんでした。

金髪時代のお腹の出方、そして私が気に入らなかったのは、ジャイアント馬場の16文を決して正面から受けなかったことです。

こんな受け方をやっている人がなぜ評価されるのか不思議でした。

それで私の意見ですが、上田馬之助が馬場派でなかったのは、ジャイアント馬場に対する嫉妬心があったのではないかと私は思っています。

同じ大男で、きわめっこは自分のほうが強い(と思っている)のに、技の魅せ方受け方など、パフォーマーとしての実力差は明らかである。

そのことを嫉妬していたのではないかと思いました。

一方、日本プロレス当時のアントニオ猪木は、純粋に強さを求めていたけれど、一方で真面目すぎてレスラーとしての幅がまだ自分の敵ではなかったとジャイアント馬場は述べていました。

要するに、日本プロレス時代のアントニオ猪木と上田馬之助は、ジャイアント馬場にかなわなくて嫉妬する者同士としての連帯感があったのではないかと思います。

ところが、NETがつき、BIが「両雄」になり、さらにクーデターで猪木がのしあがろうとしていたのを見た上田馬之助は、今度はアントニオ猪木に対する嫉妬心から密告に走ったのではないか、と私は見ています。

とくに上田馬之助のファンのかたは、今回の私の意見は容認できないかもしれませんね。

これは、上田馬之助の人格を否定しているわけではありません。

ただ、常識人、腰の低い人、ということと、深層心理にある嫉妬心は両立しないものではありません。

むしろ、常識人、腰の低い人というのは、いうなれば、社会の枠組みや規範を破れない「弱い人」であるともいえるわけで、そうした弱さも嫉妬心と結びついている、と見ることが出来ます。

人間、常識人ほど、ジェラシーやコンプレックスが思わぬ時に負の方向に出るものです。

それと対象的なのが「非常識」なアントニオ猪木です。

猪木はジャイアント馬場にジェラシーやコンプレックスは持っていましたが、猛練習や向上心など、自分にとってプラスの方向にそのエネルギーを向けました。

そうやってみると、人間の人格や生き様、なにがいいのか悪いのか、一概にはいえませんね。

日本プロレス事件史 Vol.20 (B・Bムック)

日本プロレス事件史 Vol.20 (B・Bムック)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ベースボールマガジン社
  • 発売日: 2016/04/16
  • メディア: ムック

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