日本プロレスリング興業株式会社

先日、『日本プロレスリング興業株式会社の再興夢想実現せず!』という記事を書きました。コメントの中で、百田敬子版の日本プロレスでは? というご質問がありましたが、今日、『日本プロレス事件史 Vol.22』を読んでいて、答えが出ました。今日はそれについて書きたいと思います。



まず、当該記事にリンクします。

日本プロレスリング興業株式会社の再興夢想実現せず!

どういう内容か、簡単に振り返ります。

商業登記簿謄本を調べたら、日本プロレスリング興行株式会社があった。

創立は昭和36年で、所在地は渋谷区代官山であった。

登記は解散で清算ではなく、監査人の名前だけが登記されていた。

解散なら復活できるはずなので、にわかにドキドキしてきた。

しかし、調べてみると、「解散みなし」のため、復活は現状の法律では不可能だった。

という内容の記事です。

それで、登記簿の会社は、芳の里が社長だった「日本プロレス」か、百田敬子夫人が登記した「日本プロレス」かということですが、『日本プロレス事件史 Vol.22』の、日本プロレス残党について振り返る「馬場・全日本の水は甘いか?辛いか?」(流智美著)という読み物の中で、百田敬子版日本プロレスは、赤坂7-5に登記していることが書かれていました。

ということは、やはり私が見つけたのは、長谷川(芳の里)淳三版の日本プロレスで間違いないと思います。

力道山の創業した日本プロレスは、協会と興行の2本柱で、興行のほうが昭和36年に創業登記されています。

力道山の死後、敬子夫人が社長になりました。

が、馬場元子さんがそうであったように、現場のレスラーと社長夫人の齟齬があり、敬子さんは会社を追われました。

創業者一家としての意地からか、敬子夫人は、港区赤坂7-5に同じ名前の「日本プロレス」を登記します。

長谷川(芳の里)淳三版の日本プロレスは代官山で渋谷区です。

自治体が違えば、同じ名前の会社を登記できます。

しかも、そこには、馬場正平と長谷川淳三、そして未確認ですが、もしかしたら大木金太郎も役員に名を連ねています。

私の推理では、どうせ敬子夫人を追い出したのは遠藤幸吉で、豊登や芳の里は、敬子夫人と必ずしも悪い関係ではなかったのだと思います。

国際プロレスを作った吉原功を追い出したのも遠藤幸吉で、その後、芳の里は国際プロレスアワー(テレビ東京)の解説も行っていますから、芳の里と吉原功の関係も悪くなかったのです。

たぶん、芳の里という人は、人柄はよかったんじゃないかと思います。

馬場正平は、百田家ともいい関係を作っておけば、損はないという気持ちがあったと思います。

もっとも、百田家から言わせると、百田義浩がいずれは社長になる、という約束をダラ幹が反故にしたというのですが……。
http://www.yomiuri.co.jp/life/special/prowres/20150603-OYT8T50200.html

でも、敬子夫人と同じで、当時プロレス経験もない百田義浩が社長になったって、うまくはいかなかったでしょう。

それはともかくとして、1973年春、アイアンクローシリーズをもって芳の里版日本プロレスは興行活動を停止したわけですが、池上本門寺の記者会見で述べたのが、「力道山家のもとに帰る」でした。

それはすなわち、名称だけだった百田敬子版日本プロレスに選手が合流(移籍)するということ。

そして、上記のように同社には馬場、長谷川が登記していたことから、そのつながりで、

代官山日本プロレス⇒赤坂日本プロレス⇒全日本プロレス

という「三角トレード」ならぬ「三角合流」が成立した、ということだと思います。

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ただし、ご存知のように、ジャイアント馬場は、日本プロレス勢の合流を歓迎しませんでした。

そこで、選手は日本テレビとの契約で、全日本プロレスが「預かり」に留める。

ただし、マッチメークの権限はジャイアント馬場が担うという話になりました。

冒頭の流智美氏の記事の中では、グレート小鹿が、「大木金太郎さんは対等合併だと信じていた」というのですが、それはさすがに大木金太郎がおかしいと思います。

なぜなら、合併なら、どちらかの会社を残存し、どちらかを清算するという手続きをするし、新会社は誰を役員にするのか、合併する会社の役員が話を詰めるはずです。

しかし、登記上、日本プロレスはそのまま残り、全日本プロレスの取締役会に誰も日本プロレスの役員は入らない。

芳の里は、馬場正平にトロフィーやチャンピオンベルトを売却し、その返戻として月々30万もらい、NWA役員として「JWAの長谷川」として引き続き残っている。

誰が見ても、日本プロレスは活動停止して、その資産が全日本に買収され、選手だけが合流した、と解せるでしょう。

今年、ノアがIT会社に事業譲渡しましたが、あれと同じだと思います。

事実上の身売りですね。合併とは明らかに違います。

ただ、大木金太郎がそう信じていた事自体はおそらく本当のことで、他の選手は日本テレビと契約をしたのに、大木金太郎だけは日本テレビと契約をしていませんでした。

だから、全日本プロレス離脱後、すぐに新日本プロレスのリングに上がれたのです。

たぶん、大木金太郎には細かいことを知らせず合流を決め、そのために「日本テレビと契約」の話もできなかったのだろうと思います。

なお、読み物は、ジャイアント馬場が、上田馬之助と松岡巌鉄を整理したかったことが露骨に分かるが、それをもって「馬場が干した」と非難するのは、当時の事情を考えると馬場に酷ではないか、という結論でまとめています。

詳細は同誌をご覧ください。

このへんの話は、もう今まで何度もいろいろな人によって書かれていますが、昭和プロレスファンとしては、何度読んでも飽きないところです。

日本プロレス事件史 vol.22 夏の変事 (B・B MOOK 1312 週刊プロレススペシャル)

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  • 出版社/メーカー: ベースボールマガジン社
  • 発売日: 2016/06/17
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