馬場と豊登.png

ジャイアント馬場時代到来! 昭和プロレス史でも、もっとも興奮するところです。ジャイアント馬場の祥月命日は過ぎてしまいましたが、原康史(桜井康雄)の『激録 馬場と猪木〈第3巻〉難敵連破、馬場インター王者』(東京スポーツ新聞社)には、ジャイアント馬場が、ディック・ザ・ブルーザーを破って、インターナショナル選手権を獲得した頃が書かれています。久々に読み直したので、内容をご紹介します。




『激録 馬場と猪木〈第3巻〉難敵連破、馬場インター王者』は、「馬場と猪木」というタイトルですが、この巻では、まだまだアントニオ猪木はBI砲としてはでてきません。

・豊登のWWA世界選手権剥奪
・ジャイアント馬場がディック・ザ・ブルーザーとの決定戦でインターナショナル選手権奪取
・ジャイアント馬場がルー・テーズを破ってインターナショナル選手権防衛
・豊登の退団アントニオ猪木ハワイ略奪による東京プロレス旗揚げ
・ジャイアント馬場が第8回ワールドリーグ戦優勝

などが書かれています。要するに、豊登のフェードアウトと、ジャイアント馬場時代の到来を記した章です。

ディック・ザ・ブルーザー、ルー・テーズの“凄み”


まず、ディック・ザ・ブルーザーの件が、とにかく読んでいて当時のワクワクぶりを思い出しました。

ディック・ザ・ブルーザー

来日すると、まず羽田でビール大瓶3本をラッパ飲みして、記者の度肝を抜きます。

調印式では、お約束のように、「オレと戦った後、ババはレスラーとして使いものにならなくなる。年寄りみたいになり背も低くなる」と「東スポ」の見出し用に豪語。

移動の新幹線ではビュッフェを独占して食いまくり、レスラーの桁外れぶりを実演しています。

試合は、ジャイアント馬場をチャンピオンにしてやりながらも、自分の商品価値も落とさず、3日後の再戦まで余韻を持ち越すよう暴れまくった上の反則負け。

試合後は「どっちが勝者か、みんなで投票しろ」とヒールらしくうそぶいています。

試合後は、銀座の高級クラブで豪遊しているところをしっかり撮影させ、オフには精密機器をおみやげに買いまくり、日本でのファイトマネーを全部使い切るスター選手としての豪傑ぶりも見せています。

そして、再戦は引き分けで「因縁の対決」は次回の来日に期待を持たせました。

さすが、プロレス史に残る名レスラーです。

試合以外でもしっかりプロレスをしているではありませんか。

次に、ジャイアント馬場の防衛戦の相手は、あのルー・テーズです。

ルー・テーズ

ルー・テーズも来日すると、力道山の墓参り、テレビ番組『11PM』の出演。

そして、焼肉店や日本料理店などの訪問など、ジェントルマン然とした試合以外のエピソードをたくさん作っていきました。

近年のプロレスも、試合以外の物語作りは行っていますが、「プロレスラーってスゲエナ」というものではありません。

むしろその反対です。

キャバクラ通いをシているとか、定食屋で食い逃げをしたとか、チャンピオンベルトをなくしたとか、びっくりドンキーのハンバーグがうまかったというツイートなど、およそアスリートの物語ではありません。

まあ、昭和プロレスのようなファンタジーはそのまま通用しないにしても、「ああ、すげえな」と思えるようなレスラー像を見せていただきたいものです。

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ジャイアント馬場のインターナショナル選手権


『激録 馬場と猪木〈第3巻〉難敵連破、馬場インター王者』(東京スポーツ新聞社)は、当時の様子を写真付きで紹介してくれる資料価値の高い書籍であると思います。

ただ、同書ではインターナショナル選手権を「NWA認定」と書いており、これは正しくありません。

日本プロレスコミッションの事務局長だった門茂男氏の書籍では、WWAの方がライセンス料が安かったから、同タイトルはWWAの認定を得たと書かれています。

その経緯が真実かどうかはわかりませんが、同タイトルが「WWA認定」というのは、当時のパンフレットやテレビ中継でのコミッショナー宣言などから事実であることは確認しています。

もちろん、日本プロレスコミッション(JWC)も同タイトルを認定していました。

当時は、WWAの「世界」は豊登、「インター(日本)」はジャイアント馬場ということで、日本プロレスの2枚看板は棲み分けられていました。

しかし、豊登が世界タイトルで揉めているうちに、ジャイアント馬場は日本プロレスのチャンピオンとしての地位を固めました。

ミハイル・ゴルバチョフを新設したソ連の大統領に祭り上げ、ロシアの初代大統領になったのがボリス・エリツィン。

やがてソ連は崩壊し、ゴルバチョフの政治家生命は終わりましたが、それと同じように豊登が居場所を失い、日本プロレスを去って行くのは必然的な流れだったのかもしれません。

豊登は金銭のトラブルで日本プロレスを退団し、東京プロレスを設立。

ジャイアント馬場にライバル意識を燃やすアントニオ猪木を引き抜いていきました。

しかし、『激録 馬場と猪木〈第3巻〉難敵連破、馬場インター王者』は、この頃のことを、「日本プロレスの舞台は、馬場を中心に、というより馬場のために回っているようだった」という一文で結んでいます。

激録 馬場と猪木〈第3巻〉難敵連破、馬場インター王者 原 康史 (著) 出版社: 東京スポーツ新聞社 ISBN-10: 4808401096 ISBN-13: 978-4808401092
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