アントニオ猪木と大熊元司

アントニオ猪木と大熊元司。昭和プロレスの原点は日本プロレスにあり、ですが、その中で、接点がなさそうであったのが、この一葉でわかります。これは、第11回ワールドリーグ戦前夜祭の控室であると思われます。さて、“馬場派”の大熊元司がどうしてアントニオ猪木と一緒に?



大熊元司といえば、ジャイアント馬場の2代目の付き人です。

ちなみに、日本プロレス時代のジャイアント馬場の付き人を順に枚挙すると

1.マシオ駒
2.大熊元司
3.グレート草津
4.サムソン・クツワダ
5.佐藤昭雄

Youtubeを見ると、佐藤昭雄の代になっても、大熊元司やサムソン・クツワダはジャイアント馬場のお世話をしていたようですね。

グレート草津をのぞいたこの4人が、そのまま馬場派となり、全日本プロレスの旗揚げについていった人たちになります。

門馬忠雄さんの証言などでは、日本プロレス時代はいくつかの派閥があったようですが、簡単に人を信用しないジャイアント馬場の「馬場派」は、この付き人たちと家族的なグループであったそうです。

そのほかに、本籍は芳の里派だけれど、ジャイアント馬場に近い人が、ミツ・ヒライやミスター林あたりだったと思います。

ただ、ミツ・ヒライもミスター林も、年齢こそ若いものの、ジャイアント馬場よりも入門がはやいために、少なくともジャイアント馬場としては気を使うところがあったかもしれません。

といった余談はともかくとして、そういう意味で大熊元司は、ガチガチの馬場派です。

それが、冒頭の写真のように、アントニオ猪木の控室にいて行動をともにしています。

どうしてでしょうか。

当時のプロレス雑誌では、リーグ戦前に、アントニオ猪木ら数人が合宿をしていたようです。

つまり、リーグ戦前から、アントニオ猪木と大熊元司は行動をともにしています。

会社がそう命じたのか、アントニオ猪木の意向なのかはわかりません。

そして、第11回ワールドリーグ戦は、アントニオ猪木が、クリス・マルコフを卍固めで破って初優勝しました。

その時、アントニオ猪木を祝福して担いだのは、付き人だった山本小鉄や新海弘勝(北沢幹之)ではなく、星野勘太郎と大熊元司でした。

一緒に合宿をしたよしみということかもしれませんが、先輩の新海弘勝をさしおいて、水戸黄門の助さん格さんではありませんが、アントニオ猪木を担いで支える役割を担ったのは驚きました。

星野勘太郎は芳の里派といわれましたが、ジャイアント馬場との関係も悪くなく、『喜劇駅前茶釜』(1963年、東京映画/東宝)では、

星野勘太郎

ジャイアント馬場に思いっきり椰子の実割を食らう役で出演しています。

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結局“馬場派”に戻った大熊元司


では、大熊元司は、そのままアントニオ猪木派になるのかと思いきや、いつのまにかまたジャイアント馬場のもとに戻っています。

まるで、第11回ワールドリーグ戦のときだけ、大熊元司をレンタルしたようです。

これは、いったいどういうことだったのでしょうか。

以下は私の推理です。

やはり、第11回ワールドリーグ戦は、アントニオ猪木を優勝させよう、という機運が会社にあったのでしょう。

NETの放送は、リーグ戦中に発表されているので、おそらくはリーグ戦前には内定していたと思われます。

当時、アントニオ猪木は“若獅子”“弱冠”などと呼ばれ、若きホープ扱いでしたが、そこからさらに引き上げて、BIを同格に並べなければならないので、そのためにも優勝をさせたいところだったわけです。

卍固めを発表して、技の名前を公募したのもリーグ戦前です。

かといって、ジャイアント馬場を完全に凌駕してしまっては元も子もなくなりますから、ジャイアント馬場の価値は壊さず同点決勝に進むことにして、しかも、アントニオ猪木には与し易いクリス・マルコフをプッシュして、ゴリラモンスーンを脱落させました。

そして、大熊元司の“レンタル”は、やはりジャイアント馬場ファミリーを分断とはいいませんが小休止させ、アントニオ猪木に若手精鋭の力を結集させたかったのかなあと思います。

みなさんは、どう思われますか。

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