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that's newのカテゴリ記事一覧。昭和プロレスの「その時」と「今」をweb採録していきます
坂口征二がアントニオ猪木を選んだ ..

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坂口征二が、ジャイアント馬場と遺恨はないものの、合流しなかったことは前回書きました。今回(「東京スポーツ」2009年11月25日付)は、いよいよアントニオ猪木と..

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坂口征二が全日設立決意したジャイアント馬場と ..

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坂口征二の述懐で構成されていた「東京スポーツ」に書いている連載は、いよいよ昭和プロレスの謎の一つである、ジャイアント馬場の独立と坂口征二との会談にうつりました(..

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坂口征二が新日本プロレスから「引き抜き」 ..

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坂口征二は、斜陽の日本プロレスに見切りをつけ、若手数人を引き連れて新日本プロレスと合流したのが1973年3月。その前年の秋には、マサ斎藤らがセットしてアントニオ..

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東京タワーズでインターナショナルタッグ選手権防衛 ..

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“ダラ幹”と聞いて、日本プロレスの幹部をイメージするのは、相当な昭和プロレス通ですね。坂口征二の連載をずっとご紹介していますが、今回は、いよいよジャイアント馬場..

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東京タワーズのタッグ ..

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日本テレビの「日本プロレス中継」というのは、当時、日本テレビと力道山、正力松太郎と三菱電機という4者の結びつきによる昭和プロレスを象徴するコンテンツでした。それ..

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アントニオ猪木除名 ..

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坂口征二が、日本プロレスのナンバー2としてのし上がってきたのは1972年暮れ。吉村道明とタッグを組み、アジアタッグ選手権を取って国内初戴冠した時です。その試合は..

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東京タワーズ ..

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昭和プロレスの「東京タワーズ」といえば、ジャイアント馬場、坂口征二組です。なぜ「といえば」と条件をつけたかというと、グーグルで「東京タワーズ」という語句で画像検..

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坂口征二 ..

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坂口征二といえば、日本プロレスから新日本プロレスに合流した時に副社長へ。いったんアントニオ猪木の事業道楽の巻き添えを食ってクーデターで更迭されたものの、クーデタ..

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決戦順延で千両役者の見得 ..

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ジャイアント馬場とブルーノ・サンマルチノといえば、ほぼ同時期デビュー。日米で戦ったライバルであり、友人でもあります。そのブルーノ・サンマルチノが、現役のWWWF..

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ジャイアント馬場 ..

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ジャイアント馬場といえば、作家・村松友視が「プロレス内プロレス」とかつて名付けたほど、プロレスの予定調和的な面を大切にするレスラーです。そして、因縁で物語を作る..

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坂口征二がアントニオ猪木を選んだ真相

坂口征二がアントニオ猪木を選んだ

坂口征二が、ジャイアント馬場と遺恨はないものの、合流しなかったことは前回書きました。今回(「東京スポーツ」2009年11月25日付)は、いよいよアントニオ猪木と会い、夢を語り、合流に近づいたあたりが語られています。昭和プロレス的にはエポックメイキングな日といえるでしょう(画像は「東京スポーツ」11月25日付より)

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坂口征二が語る、全日本設立決意したジャイアント馬場との会話

坂口征二が全日設立決意したジャイアント馬場と

坂口征二の述懐で構成されていた「東京スポーツ」に書いている連載は、いよいよ昭和プロレスの謎の一つである、ジャイアント馬場の独立と坂口征二との会談にうつりました(11月18日付)。要するに、ジャイアント馬場は坂口征二を全日本プロレスに誘ったのか、誘わなかったのか。坂口征二はなぜ全日本プロレスに行かなかったのか。人間的にはアントニオ猪木よりも合いそうなジャイアント馬場と行動をともにしなかったのか、という話です。

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坂口征二が新日本プロレスから「引き抜き」を打診されていた真相

坂口征二が新日本プロレスから「引き抜き」

坂口征二は、斜陽の日本プロレスに見切りをつけ、若手数人を引き連れて新日本プロレスと合流したのが1973年3月。その前年の秋には、マサ斎藤らがセットしてアントニオ猪木・坂口征二の話し合いが持たれたというのが昭和プロレスとしての通説ですが、実は、アントニオ猪木が新日本プロレスを設立して間もなく、坂口征二には声がかかっていたことを坂口征二自身が認めている、という話です。

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“ダラ幹”といわれた日本プロレス幹部を坂口征二が語った

東京タワーズでインターナショナルタッグ選手権防衛

“ダラ幹”と聞いて、日本プロレスの幹部をイメージするのは、相当な昭和プロレス通ですね。坂口征二の連載をずっとご紹介していますが、今回は、いよいよジャイアント馬場が坂口に、日本プロレスをやめることを打ち明ける件が出てきます。(画像は『東京スポーツ』2009年11月11日付より)

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日本テレビ「日本プロレス中継」打ち切りを語る坂口征二

東京タワーズのタッグ

日本テレビの「日本プロレス中継」というのは、当時、日本テレビと力道山、正力松太郎と三菱電機という4者の結びつきによる昭和プロレスを象徴するコンテンツでした。それは、力道山や正力松太郎の死後も続きました。もちろん、プロレス中継時代が視聴率をとれた時代です。それが打ち切られてしまったのが、1972年4月です。(上画像は「東京スポーツ」(2009年11月4日付)より)

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坂口征二は日本プロレスの「アントニオ猪木除名」をどう語ったか

アントニオ猪木除名

坂口征二が、日本プロレスのナンバー2としてのし上がってきたのは1972年暮れ。吉村道明とタッグを組み、アジアタッグ選手権を取って国内初戴冠した時です。その試合は、前チャンピオンであったアントニオ猪木がタイトルを返上したためです。

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昭和プロレスの「東京タワーズ」ジャイアント馬場、坂口征二組

東京タワーズ

昭和プロレスの「東京タワーズ」といえば、ジャイアント馬場、坂口征二組です。なぜ「といえば」と条件をつけたかというと、グーグルで「東京タワーズ」という語句で画像検索しても、何やら近代的な建物の画像ばかりで、ジャイアント馬場、坂口征二組が全く出てこないので、昭和プロレスは遠くなりにけり、と寂しい思いに浸ってしまったからです(汗)

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坂口征二が明かしていた「外人天国」の背景

坂口征二

坂口征二といえば、日本プロレスから新日本プロレスに合流した時に副社長へ。いったんアントニオ猪木の事業道楽の巻き添えを食ってクーデターで更迭されたものの、クーデター組の力不足でまたもとのポストに返り咲き、アントニオ猪木が国政進出後は新日本プロレス社長に就任。すると、それまでの借金を完済し、全日本プロレスとは“ベルリンの壁”を壊して選手のトレードや貸出なども行いました。(画像は「東京スポーツ」(2009年7月29日付)より)

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ジャイアント馬場、決戦順延で千両役者の見得【1968.8.6】

決戦順延で千両役者の見得

ジャイアント馬場とブルーノ・サンマルチノといえば、ほぼ同時期デビュー。日米で戦ったライバルであり、友人でもあります。そのブルーノ・サンマルチノが、現役のWWWF世界ヘビー級選手権者時代に日本プロレスに来日し、ジャイアント馬場と熱闘を繰り広げましたが、決着戦と言われた1968年8月6日の大阪市・大阪球場は雨で順延に。

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ジャイアント馬場、怒りのポーズ!の真相は?【1968.11.29】

ジャイアント馬場

ジャイアント馬場といえば、作家・村松友視が「プロレス内プロレス」とかつて名付けたほど、プロレスの予定調和的な面を大切にするレスラーです。そして、因縁で物語を作ることを好みません。そんなジャイアント馬場が、めずらしくロープに両足をかけ、ポーズをとったことがあります。(画像は『激録馬場と猪木7』「東京スポーツ」新聞社より)

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