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that's newのカテゴリ記事一覧。昭和プロレスの「その時」と「今」をweb採録していきます
坂口征二 ..

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坂口征二といえば、日本プロレス→新日本プロレス。キラー・トーア・カマタといえば、国際プロレス→全日本プロレスと、全く接点がない関係に見えますが、実は坂口征二がア..

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天龍全日本復帰 ..

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天龍源一郎の引退が話題になっています。天龍源一郎が、阿修羅原と龍原砲で活躍したのは80年代後半なので、それは昭和プロレスの範疇に入るかもしれませんが、今回天龍源..

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清水一郎アナ ..

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清水一郎アナ、といえば、昭和プロレスファンには忘れられない、もとい、忘れてはならない人です。日本テレビの金曜夜8時『ダイヤモンドプロレス』の実況を長きにわたって..

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「東京スポーツ」(2013年6月20日付) ..

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新日本プロレスの道場兼合宿所が、もとはアントニオ猪木宅だったというのはファンの間では「今更」の話ですが、2年前の「大改造!!劇的ビフォーアフター」(朝日放送系)..

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ジャイアント馬場の駅前茶釜出演 ..

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『喜劇駅前茶釜』が封切られた1963年7月といえば、まだ力道山が健在の頃です。その年の春にジャイアント馬場は帰国し、第5回ワールドリーグ戦に参加。そして半年ほど..

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プロレス中継・第11回ワールドリーグ戦前夜祭 ..

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プロレス中継・第11回ワールドリーグ戦前夜祭が行われたのは1969年4月4日。金曜日20時のプロレス中継で生放送された日です。いきなり開幕戦ではなく、前夜祭から..

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BI砲といえばジャイアント馬場とアントニオ猪木。このコンビはインターナショナルタッグ選手権者チームだったわけですが、その最後の年の最初の防衛戦である1971年1..

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ジャイアント馬場に師匠の力道山はコンプレックスを抱いていた。昭和プロレスの新事実です。『週刊大衆』(2月10日号)で連載されている柳澤健氏の「1964年のジャイ..

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バディ・ロジャースが今週号でも書かれています。『週刊大衆』(11月11日号)の連載「1964年のジャイアント馬場」の話です。その当時、アメリカ遠征中だったジャイ..

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「1964年のジャイアント馬場」が、今週も『週刊大衆』(11月11日号)にでています。柳澤健氏の連載で、タイトル通り、アメリカ遠征中の馬場正平が、本場アメリカの..

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坂口征二とキラー・トーア・カマタの関係をご存知ですか

坂口征二

坂口征二といえば、日本プロレス→新日本プロレス。キラー・トーア・カマタといえば、国際プロレス→全日本プロレスと、全く接点がない関係に見えますが、実は坂口征二がアメリカで試合をしていた頃、接点があったという話です。

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天龍源一郎、全日本プロレスに電撃復帰【2000.07.02】

天龍全日本復帰

天龍源一郎の引退が話題になっています。天龍源一郎が、阿修羅原と龍原砲で活躍したのは80年代後半なので、それは昭和プロレスの範疇に入るかもしれませんが、今回天龍源一郎絡みで改めて思い出したいのは、2000年の全日本プロレス電撃復帰の時です。これはもう、ファンの誰もがびっくりしたのではないでしょうか。

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清水一郎アナといえば昭和プロレスの名実況、ドラマも出演!

清水一郎アナ

清水一郎アナ、といえば、昭和プロレスファンには忘れられない、もとい、忘れてはならない人です。日本テレビの金曜夜8時『ダイヤモンドプロレス』の実況を長きにわたって行った人です。力道山、豊登、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田、といった歴代のスターたちの実況を担当してきた人です。

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新日本プロレス道場兼合宿所、昭和プロレスの高給ぶりを証明

「東京スポーツ」(2013年6月20日付)

新日本プロレスの道場兼合宿所が、もとはアントニオ猪木宅だったというのはファンの間では「今更」の話ですが、2年前の「大改造!!劇的ビフォーアフター」(朝日放送系)でリフォームされたことが話題になったとおり、それが作られたのは1973年。新日本プロレスを作ったときに、自宅を提供してできたものです。

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ジャイアント馬場『喜劇駅前茶釜』での奮闘

ジャイアント馬場の駅前茶釜出演
『喜劇駅前茶釜』が封切られた1963年7月といえば、まだ力道山が健在の頃です。その年の春にジャイアント馬場は帰国し、第5回ワールドリーグ戦に参加。そして半年ほど巡業に参加してからまた渡米するわけですが、その間に撮影したわけです。

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プロレス中継・第11回ワールドリーグ戦前夜祭(1969,04,04)

プロレス中継・第11回ワールドリーグ戦前夜祭

プロレス中継・第11回ワールドリーグ戦前夜祭が行われたのは1969年4月4日。金曜日20時のプロレス中継で生放送された日です。いきなり開幕戦ではなく、前夜祭から行われていたわけですが、内容は参加選手の紹介とエキジビションマッチということでしたが、たんに時間が短い(15分1本勝負)普通の試合が行われていました。当時を思い出して書いてみます。

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BI砲最後の1年がこの試合で始まった

BI砲といえばジャイアント馬場とアントニオ猪木。このコンビはインターナショナルタッグ選手権者チームだったわけですが、その最後の年の最初の防衛戦である1971年1月7日の試合後の写真を、『東京スポーツ』(2014年2月7日付)の連載「東スポお宝写真館」で掲載しています。当時を知っている人にとってはなんとも懐かしい一葉です。

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ジャイアント馬場に力道山はコンプレックスを抱いていた

ジャイアント馬場に師匠の力道山はコンプレックスを抱いていた。昭和プロレスの新事実です。『週刊大衆』(2月10日号)で連載されている柳澤健氏の「1964年のジャイアント馬場」はいちだんと興味深い話が書かれています。連載第33回、タイトルは「力道山の豹変」。何が理由でどう「豹変」したのか。見て行きましょう。

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バディ・ロジャースがなぜウケたのか

バディ・ロジャースが今週号でも書かれています。『週刊大衆』(11月11日号)の連載「1964年のジャイアント馬場」の話です。その当時、アメリカ遠征中だったジャイアント馬場にとって、最高のレスラーとして出会ったのがバディ・ロジャースでした。そのバディ・ロジャースとは何だったのかが書かれています。

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「1964年のジャイアント馬場」でNWAの仕組みが明らかに!

「1964年のジャイアント馬場」が、今週も『週刊大衆』(11月11日号)にでています。柳澤健氏の連載で、タイトル通り、アメリカ遠征中の馬場正平が、本場アメリカのプロレスラーやプロレスの何をどう見ていたのかが書かれています。題字の下のシャイアンと馬場は、晩年の鶏ガラのような体ではなく、胸板厚く腕も太い勇姿になっています。

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