キラー・カール・コックス

キラー・カール・コックスのインタビューが、『日本プロレス事件史16』(ベースボール・マガジン社)に出ています。(連載怪人伝第16回)。ジャイアント馬場との戦いを振り返り、ディック・マードックが日本でもライバルであったことや、はやめのリタイアなどについて語っています。



キラー・カール・コックスは、2011年11月10日、心不全で亡くなったそうです(享年80歳)。

インタビューは、平成9年に行ったといいます。

記事では、キラー・カール・コックスは日本向けヒールとして活躍したと振り返っています。

デビューは1955年。ザ・シークと出会い、物心両面で世話になったようです。

サム・マソニックには嫌われましたが、ジム・バーネットには高く評価されたそうです。

日本では、なんといってもジャイアント馬場との戦いがありました。

ジャイアント馬場とは、信頼関係がきちんとできていた試合だったことを明かすくだりもあります。

それ以外には、ディック・マードックとの戦いを印象深いとしています。

マードックとは、それまでタッグを組んでいたのに、ある日、ジャイアント馬場が戦ってくれといった。

理由が、新日本プロレスとの興行戦争があり、目玉カードを欲しかったからだということがわかったキラー・カール・コックスは、「猪木のグループに行ったファンを後悔させる」と、その試合を引き受けたそうです。

このへんの件は、やはり全日本派だったハリー・レイスのインタビューを思い出します。

詳細は『日本プロレス事件史16』をご覧ください。

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キラー・カール・コックスは猪木派ではなかった



キラー・カール・コックスは、日本プロレス時代の第13回ワールドリーグ戦に参戦しています。

そのときは、ザ・デストロイヤー、アブドーラ・ザ・ブッチャーと「3強」として来日したのですが、一方の日本陣営は、アントニオ猪木がUN選手権を取ったばかり。

第11回がアントニオ猪木、第12回がジャイアント馬場が優勝したこともあり、第13回の結果如何で、日本プロレスのエースが変わるかもしれない、などといわれて大会はかなり盛り上がっていた。というよりある意味殺伐としていました。

今にして思えば、ジャイアント馬場が日本テレビ、アントニオ猪木がNET、という関係ができている以上、日本テレビが放映権を持っているワールドリーグ戦は、ジャイアント馬場が優勝するしかないのですが、とにかく当時はそうやって盛り上げられていました。

その盛り上げに協力するように、前夜祭では外人も日本陣営の決勝進出を「予想」。

キラー・カール・コックスが「アントニオ猪木」を予想し、アブドーラ・ザ・ブッチャーが「ジャイアント馬場」を予想し、2人が喧嘩になり、ザ・デストロイヤーが止めた、という記事が当時出ていたものです。

それを読むと、アプドーラ・ザ・ブッチャーが馬場派で、キラー・カール・コックスが猪木派のように見えますが、それはそのときの営業的な協力に過ぎず、キラー・カール・コックスも馬場派だったんですね。

その後も、キラー・カール・コックスは全日本プロレスに参加しています。

同誌では、キラー・カール・コックスが馬場の指を攻める「指折り地獄」で45分、残りの15分で、馬場の32文やコックスのブレーンバスターなどいろいろな技をを見せる試合を、「メリハリ」と「ワンパターン」による「究極のマンネリズム」として評価しています。

これもまた、馬場対レイスの「様式美」と称される試合を彷彿とさせますね。

日本プロレス事件史 vol.16 王者の宿命 (B・B MOOK 1265)

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ベースボールマガジン社
  • 発売日: 2015/12/17
  • メディア: ムック

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