東京タワーズ

永島勝司氏が、坂口征二は何故、全日本ではなく新日本を選択したのかについて語っている『プロレス界最強仕掛人 永島オヤジの まぁだま~って読んでみてよ』(晋遊舎)を読みました。
永島勝司氏といえば、東京スポーツ整理部から、新日本プロレスの渉外・企画チーフプロデューサーに転職。以後、アントニオ猪木、坂口征二ら歴代社長といい関係を築き、旧ソ連や北朝鮮でのプロレス興行、「新日本対全日本」「UMFインターナショナル全面戦争」などのヒット企画を生みだし、新日本プロレスの隆盛に貢献しました。

その永島勝司氏が書いたプロレス回顧本が、『プロレス界最強仕掛人 永島オヤジの まぁだま~って読んでみてよ』(晋遊舎)です。



この中で、坂口征二は、どうして全日本プロレスではなく、アントニオ猪木の新日本プロレスを選んだのか、という件があります。

これは、日本プロレス崩壊時とともに、昭和プロレス史上の大きな謎です。

ネットでは、夫人同士が不仲だったとか、ジャイアント馬場が上から目線で坂口の実家が嫌悪感を示したとか、見てきたような話がいろいろ出ていますが、坂口征二が公に真相を話したことはありません。

本ブログでも、坂口征二の述懐連載で振り返りましたが、ジャイアント馬場が誘わなかった、ということしか明らかになりませんでした。

坂口征二がアントニオ猪木を選んだ真相

そこに永島勝司氏は踏み込んでいます。

 なぜ日本プロレスから新日本に来たのか。最初は猪木の打算だった。日プロ時代、坂さんについていたNET、いまのテレビ朝日をそれごと欲しかったんだ。


そのために坂さんのギャラをいくらにしたとかそういうことは知らないけれど、ともかく猪木の目論見通り、テレビごと坂さんのスカウトに成功した。


 坂さんは坂さんで、日本プロレス内部でのドロドロしたものがあったんだとは思う。でも本来なら坂さんは全日本プロレスに行くハズですよ。いろんなものを加味したら、あの当時は馬場さんのところが一番良かったんだと思う。それでも新日本となったのは、もちろん猪木が一所懸命に口説いたというのもあっただろうし、日本テレビとガッチリ組んでいる全日本よりも新日本というNETの戦略的な考えがあってのことかもしれない。



その上で、永島勝司氏は、「でも結果として新日本に来て良かったんじゃないかと、俺は思うけどね」と結んでいます。

永島勝司氏の見解に沿えば、要するに、真相は「テレビ局」ということでした。

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整理しますと、

日本テレビ(ジャイアント馬場)、NET(坂口征二)、テレビ無し(アントニオ猪木)

という関係があり、

1.ジャイアント馬場は坂口征二を誘わなかった
2.アントニオ猪木は坂口征二を熱心に誘った
3.NETは日本テレビの子会社である全日本プロレスには手を出せない

となれば、坂口征二はもう、「アントニオ猪木」しか選びようがなかったわけです。

永島勝司氏の言うとおり、好き嫌いではなく戦略なんですね。

そして、ジャイアント馬場が坂口征二を誘わなかったのは、背後についているテレビ局を考えたからでしょう。

自分が誘えば、坂口征二は、NETとの板挟みになります。

もちろん、日本プロレスをまるごと面倒見る、という展開になりたくないという用心もはたらいたのでしょう。

いずれにしても、ジャイアント馬場は、いろいろ考えている人なんだなあと改めて思います。

もちろん、永島勝司氏の言っていることが正しいとは限りませんし、坂口征二から直接聞き出した話でもありません。

そもそも、永島勝司氏は日本プロレス時代はプロレス関係者ではなかったから、当時の事情すら精通していないはずです。

しかし、坂口征二やアントニオ猪木と長くいい関係を築いた者としての証言は、十分参考意見として傾聴に値すると思い、今回ご紹介しました。

プロレス界最強仕掛人 永島オヤジの  まぁだま~って読んでみてよ

プロレス界最強仕掛人 永島オヤジの まぁだま~って読んでみてよ

  • 作者: 永島 勝司
  • 出版社/メーカー: 晋遊舎
  • 発売日: 2012/06/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

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