東京タワーズのタッグ

日本テレビの「日本プロレス中継」というのは、当時、日本テレビと力道山、正力松太郎と三菱電機という4者の結びつきによる昭和プロレスを象徴するコンテンツでした。それは、力道山や正力松太郎の死後も続きました。もちろん、プロレス中継時代が視聴率をとれた時代です。それが打ち切られてしまったのが、1972年4月です。(上画像は「東京スポーツ」(2009年11月4日付)より)



ご紹介している坂口征二の連載(「東京スポーツ」2009年11月4日付)は、1972(昭和47)年3月31日。春の本場所「第14回ワールドリーグ戦」の開幕から話が始まっています。

アントニオ猪木除名後、坂口征二がナンバー2になって最初で最後のワールドリーグです。

参加メンバーは、日本陣営がジャイアント馬場、坂口征二、吉村道明、大木金太郎、グレート小鹿、上田馬之助、ミツ・ヒライ、星野勘太郎、マサ斎藤です。

外国勢は、ゴリラ・モンスーン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、カリプソ・ハリケーン、ディック・マードック、マイティ・ブルータス、キラー・ブルックス、ホセ・ロザリオ、サルバトーレ・ロザリオ、カナディアン・ランバージャックなどです。

日外対抗総当りで1人2試合。つまり計18試合の予選を行い、日外の最高得点者が優勝決定戦に出場します。

本来なら、「やっちゃるけん」と張り切るはずですが、この頃、日本プロレスには大きな問題がありました。

猪木さんが日本プロレスを去り、新日本プロレスを旗揚げした影響は徐々に大きくなりつつあった。特に猪木さんの試合を中心に番組を編成していたNET(現テレビ朝日)中継は深刻な視聴率低下に悩まされる。
 ならば、実績や知名度で猪木さんに勝る馬場さんをNET中継に登場させれば良い。そんな意見も出始めていたが、そう簡単に事は運ばない。
NET中継がスタート(69年7月)する際に、日プロと中継の老舗である日本テレビ側との取り決めで「馬場の試合、ワールドリーグの公式戦、インターナショナル選手権、インターナショナル・タッグ選手権は日本テレビの独占中継」という方針が決められていた。
"大木"さんや小鹿さん、私がNET中継に登場し、奮闘するものの視聴率の下降は止まらない...。そこで会社側は日本テレビとの取り決めを無視して「4月1日のNET中継から、馬場の試合を放送する」と発表してしまったのだ。

坂口も述懐していますが、当時、まだプロレス中継はゴールデンタイムの看板番組でした。

NET(テレビ朝日)は週に2回も放送していたほどです。

ですから、日本プロレス側も既成事実を作ってしまえば、日本テレビも追認するとタカをくくっていたフシがあります。

ジャイアント馬場のNET登場は、前の試合への乱入から始まっていました。

ジャイアント馬場の衝撃の登場を演出し、ジャイアント馬場も張り切っているというところを見せたかったのでしょう。

しかし、ジャイアント馬場自身が、NET登場に乗り気でなかったことはファンならご存じのことです。

当時の「東京スポーツ」も、日本テレビの契約は3月までで終わっているのに、そんなことをして大丈夫なのか、という趣旨の報道を行っています。

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で、同紙の懸念は的中するのです。

リーグ戦は5月l2日の東京体育館大会で馬場さんがモンスーンを被って一6度目の優勝。この試合は予定通り、日本テレビで中継された。ところが、急転直下のニュースが飛び込む。この試合中継を最後に日本テレビが、力道山時代から20年近く続く、プロレス中継の打ち切りを発表してしまったのだ...。エース・馬場さんの試合をNETに"流してしまった"代償はあまりに大きかった。日プロの裏切り行為に怒り、強引にプロレス中継を終わらせてしまった日本テレビは、翌週から「プロレス名勝負集」として、力道山さんや豊登さん、馬場さん、猪木さんの過去の名勝負を放送して間をつなぎ、7月からドラマ「太陽にほえろ!」をスタートさせたのだった。

日本テレビが放送しなくなったことで、何を失ったか。

・放映権料
・「全国39局ネット」の宣伝力
・「金曜8時」のブランド

です。お金だけじやないんですね。

それらを失った日本プロレスは、地方巡業の客入りは目に見えるように落ちてきたと坂口征二はいいます。

そんな中、坂口征二はジャイアント馬場と渡米します。

5月18日に、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで5か月半ぶりにインターナショナルタッグ選手権をザ・ファンクスから奪還したのです。

東京タワーズ

ところが、連載は、このよう気になる書き方で結んでいます。

ところが帰国後、その馬場さんから衝撃告白を受けることになる。

これは、ジャイアント馬場が独立することを打ち明けたのだと思われますが、チャンピオンベルトを掲げるニコニコ顔からは、そんなこと想像もできません。

おそらく、ジャイアント馬場にとっては、インターナショナルタッグ選手権奪還が、日本プロレスにおける最後の大仕事と思っていたのでしょう。

ところで、今もプロレスファンの間では、なぜ坂口征二はジャイアント馬場ではなくアントニオ猪木を選んだのかを疑問に思っている方も多いと思われます。

昭和プロレス七不思議の一つです。

次の連載で、そのことが明らかになるかもしれませんよ。

ということで、次回をお楽しみに。

防御は最大の攻撃なり!! 上巻―全日本プロレス馬場「戦略」の真実!? (NIPPON SPORTS MOOK 39)

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  • 作者: 竹内 宏介
  • 出版社/メーカー: 日本スポーツ出版社
  • 発売日: 2000/09
  • メディア: ムック

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