坂口征二

坂口征二の連載は、最終回(「東京スポーツ」2009年12月9日付)をご紹介します。日本プロレスと新日本プロレスの「合併話が大木金太郎さんによって流れ」(坂口征二)、坂口征二は、小沢正志(キラー・カーン)、大城大五郎、ドナルドタケシ、木村聖裔(木村健悟)ら若手4人を連れて日プロを離脱し、新日本プロレスに行くことになりました。(上の画像はGoogleより)



まあ、結果として大木金太郎が壊したわけですが、「大木金太郎のせいで」と断定してしまうと、他のレスラーの責任が見えなくなってしまうような気がします。

たとえば、木村聖裔(木村健悟)は72年1月に日本プロレスに入門していますから、アントニオ猪木の除名時には日本プロレスに在籍していました。

でも、そのときは日本プロレスに残った。

しかし、ジャイアント馬場が離脱して以来、客足の激減、ギャラの遅配、人間関係の悪化などがあり、「もうこの会社はダメだ」と見切りをつけて、坂口征二に付いて行きました。

若手の木村聖裔(木村健悟)でさえ、自分の判断をはたらかせたのですから、中堅・ベテランができないはずがない。

他のレスラーも、何らかの事情があり不承不承、もしくは自分で確固たる判断はつかなかった状態で、大木金太郎がたまたま反対してくれたから、それにのったのではないかと思うので、大木金太郎だけのせいでもないように思いますう。

もっとも、この頃は、付き人が親分に対する若い衆のような関係で、上が動けば付き人も動く、という流れだったので、たとえば伊藤正男は大木金太郎の付き人でしたから、動きたくても動けなかったかもしれません。

それはともかく、アントニオ猪木の追放時、グレート小鹿、ミツ・ヒライ、林牛之助(ミスター林)といった小姑レスラーにとっては、自分より若い、もしくは後輩で、しかも出戻りであるアントニオ猪木がいなくなる、という思いはあったかもしれません。

そして、アントニオ猪木はどういう思いがあったかわかりませんが、彼らはアントニオ猪木のもとにいっても、冷遇されると思っていた可能性はあります。

他のレスラー達も大なり小なり同じ考えだったのではないでしょうか。

だからこそ、坂口征二にはついていかなかったのでしょう。

まあ、その点ではアントニオ猪木に理解があるといわれた上田馬之介が、ついていかなかったのが意外といえば意外ですが、不器用な人間であることや、坂口征二の離脱で、自分にチャンスが回ってくると考えていたのかもしれません。

もっとも、アントニオ猪木のもとに行っても冷遇されるという思いは、全日本プロレスに合流しても結局同じことだったわけですが、まあ会社が潰れるとそんなもんかもしれませんね。

かくして坂口征二は、3つ持っていたタイトルをあっという間に取られてしまいます。

もはや日プロに未練はない。私と小沢(正志=後のキラー・カーン)、木村(健吾)、大域大五郎の4人のみが、猪木さん率いる新日本プロレスに移籍することは、すでに大木さんの口から発表されていた。
日本プロレスとの契約は3月31日まで残っている。後でグダグダ言われないためにも、キチンと契約だけは守りたい。
当時のプロレス界は、現在とは比較にならぬほど殺伐とした空気があった。日プロ離脱が決まっている私たち4人が「試合中の事故」を口実に、どんな目に遭わされるかも分からない。極端な話、観客の前で集団リンチに及び、その選手の商品価値を消し去ることさえ可能なのだ。
さすがに心配されたのだろう。猪木さん側からも「何か適当な理由をつけて、残りの試合は欠場したほうがいい」と欠場を勧められたほどだ。
だが私にも「会社を裏切ったワケじゃない」という意地がある。仮に何か仕掛けられたら、どんな手段を使ってでも反撃するとハラをくくっていた。大体、日プロ内に、私をネジ伏せられる者がいるのか? 当時の私は相当に殺気立っていた。

「誰の挑戦でも受ける」ストロングスタイルの猪木らしからぬビジネスライクな発言ですが、

要するに無用な「戦い」はやっても仕方ない、ということで、それはアントニオ猪木の言うとおりだと思います。

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日本プロレス最後の試合だった3月8日の栃木・佐野大会は、「もはや日プロ勢と同じ控室、同じ空間にいられる状態ではな」かったといいます。

私たち4人は、まず都内から自家用車で体育館そばのビジネスホテルヘと向かい、部屋で着替えると、試合直前に会場入りした。あとは通路に張り出された対戦表に従って試合を行うまでだ。
 第1試合で羽田光男(後のロッキー羽田)と対戦した小沢はバックブリーカーで快勝。第2試合で伊藤正男と対戦した木村は時間切れ引き分け。ところが第3試合で桜田(一男=後のケンドー・ナガサキ)と対戦した大域が、ケン力まがいの攻撃で顔面をボコボコにされ、リングアウト負け。顔面血だらけとなり控室へと戻ってきた。
実力差のある試合であることや、桜田一男がケンカ自慢であることからそうなったのでしょう。

伊藤正男や羽田光男に、ガチでリンチというイメージはないし(笑)

ジャイアント馬場は、後に合流する日プロ勢を冷遇したといいますが、とりわけ、後にアメリカではそこそこはたらした実力のある桜田一男が全日本プロレスで開花しなかったのは、桜田一男のこうした面をジャイアント馬場がどこかで警戒していたのではないかという気もします。

結局、坂口征二はリンチされず、試合が終わると彼らは控え室にも戻らず、会場外に待たせておいた自家用車に乗り込みホテルヘ直行。

着替えて新日本プロレスの合宿所に向かったそうです。

深夜の合宿所では、山本小鉄、木戸修、藤波辰巳、小林邦昭らが拍手で出迎えてくれたとか。

坂口征二は最後に、テレビ朝日の今は亡き三浦、辻井両専務に感謝して筆を置いています。

テレビ朝日は日本プロレス崩壊の一因を作ったことは確かですが、その一方で、最後まで地上波のテレビ番組としてプロレス中継を残してくれていますし、結局ジャイアント馬場をバラエティ番組でも2度と使いませんでした。

それは、ジャイアント馬場も生前褒めていました。

もちろん皮肉ではなく、新日本プロレスの実質親会社であることや、ジャイアント馬場の筋を通す態度を尊重したのでしょう。

坂口征二の話、なかなかおもしろかったです。

昭和プロレスは、興味がつきませんね。

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