ジャイアント馬場と吉村道明

日本陣営にジャイアント馬場、アントニオ猪木、吉村道明という昭和プロレス強を揃えた6人タッグマッチは、スカル・マーフィー、クロンダイク・ビル、マイク・ローレンというやや格落ち外人トリオに対してストレート勝ちを収めた。前日も日本陣営はストレート勝ちしているので、連夜のストレート勝ちである。

ジャイアント馬場とアントニオ猪木といえば、当時もインターナショナルタッグ選手権を保持するBI砲だが、とくにアントニオ猪木の方にライバル意識があり、ユニットではあってもコンビというイメージではなかった。

ジャイアント馬場が、タイムマシンで過去に戻って、日本プロレスの誰と組みたいかといえば、吉村道明か坂口征二で、アントニオ猪木や大木金太郎とは気疲れすると過去に何度か述べていた。昭和プロレスの興味深い事実である。

アントニオ猪木とはインターナショナルタッグ選手権を保持したが、大木金太郎とはタッグタイトルを取ったことすらない。

大木金太郎とのエピソードは、このブログでも少しずつ書いている。

馬場、大木組、ストレート勝ち!【1968.0714】

一方、吉村道明は、ジャイアント馬場とはインターナショナルタッグ選手権、アジアタッグ選手権を、アントニオ猪木ともアジアタッグ選手権を保持しており、いつも自分がやられ役になって、パートナーあってのコンビという試合の作り方に徹した。まさに昭和プロレスの名助演者である。

それは、タッグパートナーだけでなく、相手の外人をも光らせることになるので、相手の外人にも、吉村道明との対戦を喜ばせた。

吉村道明は、滅私奉公という言葉を好んで使ったが、まさにそのとおりだろう。

しかし、それはたんなる自己犠牲ではなく、プロレス界は「誰に食わせてもらうようにするのがいいか」を冷徹に見ていたからこそであった。

もともと吉村道明は、インターナショナルタッグ選手権をジャイアント馬場と保持していたが、アントニオ猪木が復帰すると、あっさりそのタイトルをアントニオ猪木にとらせた。

そして、シングル選手権については、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎ともにベルトを巻いたが、吉村道明は、力道山時代の階級別選手権以外、取りに行かなかった。

そんな吉村道明は、引退後、ストロング小林がアントニオ猪木と対決し、日本人対決のブームが起ころうかという時に、東京スポーツのインタビューに答え、ジャイアント馬場とアントニオ猪木を戦わせちゃいかん、と述べていた。

吉村道明は、日本プロレス時代、マッチメーカーだったが、ジャイアント馬場をナンバーワンにしながらも、アントニオ猪木も並び立つような取り組みを作っていった。

吉村道明は、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、どちらかの一枚看板ではなく、2人が並立することこそが、プロレス界の繁栄に資すると判断していたのだろう。

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試合結果


1968年7月17日
★日本プロレス
サマー・シリーズ
青森県むつ市早掛公園広場
・6人タッグマッチ(60分3本勝負)
ジャイアント馬場/アントニオ猪木/吉村道明
(2-0)
スカル・マーフィー/クロンダイク・ビル/マイク・ローレン
  1. 猪木(アバラ折り 13分16秒)ローレン
  2. 馬場(片エビ固め 7分5秒)ビル

青森県むつ市といえば、JRがなく、第三セクターしか走っていない。

もちろん飛行機もない。船もない。

一行はバスでの移動である。

それに、先の長い巡業のためか、前日に続き、この日のカードもストレートであっさり決着が付いた。

1本目は、いきなり猪木が必殺技のコブラツイストでローレンを仕留めれば、2本目は馬場があっさりビルを退治。

もっとも、日本陣営が最強トリオなのに比べて、外人側はエース格のレイ・スチーブンスが抜けているので、圧勝が当然といえば当然なのだが。

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